今日は、いつものブログとは趣向が異なるかもしれませんが、私の個人的な思い(言葉へのこだわり)を込めて書かせていただきますね。

カウンセリング・セラピーでは、潜在意識に刷り込んでしまった、幼少期の傷について対話をすることも多いです。そして多くの方が、「私は愛されない」「私には価値がない」といったセルフイメージに、苦しんでいるのも事実かと思います。

私も以前、インナーチャイルド、アダルトチルドレン、機能不全家族、毒親といったキーワードの本を読んで勉強していた時期もありました。そこにあるのは、「私がほしかった愛の形と、もらった愛の形が違っていた」という悲しみです。そして、注目すべきは、それが代々同じように継承されていることも多いということ。毒親の親も毒親であった可能性は高いのですね。

暗い海辺で座る女の子

そして、ここからが、私が「毒親」という言葉を使わない理由です。

ひとつは、毒親は「薬親」にもなるということです。特に私のカウンセリングでは、師匠から学んだ「問題の下にはギフトがある」という言葉を大切にしています。過去の事実は変えられないけど、過去の捉え方は自分で変えられる。そこから自分の人生を生きることがはじまります。そうやって自分を生きはじめたとき、「あのことがあったから」という視点が、少なからず生まれているのではないかと思うのです。そのとき、毒親は相変わらず毒親でしょうか。私は、その毒親さんは、クライアントさんにどんなギフトをくれた存在なんだろう?と思いながらお話を聞かせていただいています。

ここからが、二つめの理由になります。ここまで読んで、そんな綺麗事や正論なんてくそくらえだと思う方もいらっしゃると思います。でも、毒親だと認めないということではないんです。確かに毒親だった。それはそれはひどかった。それを認めることなしに、ごまかして「許し」などと言っても、インナーチャイルドは納得してくれやしませんよね。ただ、それを認めた上で、インナーチャイルドによくよく寄り添った上で、私は、それでも愛を拡大するという選択を応援したいのです。

私の愛読書であるチャック・スペザーノ博士の『傷つくならば、それは愛ではない』の271日目のレッスンに、「関係の中で大切なのは傷跡ではなく、自分を広げつづけていくこと」「過去の傷跡を勲章のように大切にするのは、まだ学びきっていない暗いレッスンがあるということです。」とあります。私は、人の、「自分を広げつづけ、どんな人生も正解に変えていき、自分の人生を好きになっていける力」にふれたとき、とても美しくて、しなやかで、魅力的だなと、畏敬の念を感じます。

歩き出す女の子

私は、毒親という言葉を使うことで、「あなたは愛を止めてしまったちっぽけな存在です」と言っているような、「自分を広げつづけること」を応援できないような気がしてしまうのです。なぜなら、言葉には力があるから。

毒は薬でもあり、ものごとにはいろんな面がある。白になったり、黒になったり、混沌としたグレーの世界から、きらきら輝くパーツを拾い集めて、組み合わせて、不器用でもいいから自分なりの人生を仕上げていく。私も含めて、みんな、それができるんですよね。

あなたの親が止められなかった連鎖を、あなたなら止められる。私は心からそう信じて、クライアントさんと関わりたいのです。これを書きながら、「あなたはそんなちっぽけな人間なのかい?」「あなたは、大きな愛の人」グループセラピーで師匠が言っていた言葉が、頭の中をめぐっています。

これを読んで不快に思われる方がいるかもしれません。「親のせいにできないから辛い」「反発できたらむしろそのほうが楽」「簡単に受け入れられないから辛い」「そう簡単に変われない」「許すなんて簡単に言うな」そんな風に思う方もいらっしゃるでしょう。このブログに、そんな反応をした方ほど、私は心から応援したいんです。だから書きました。

決して自分以外の考え方を批判するものではありませんし、「言葉」にこだわる私の個人的な思いの話ではありますが、心を込めて書かせていただきました。

お読みいただきありがとうございました。