最近ブログや書籍でよく見かける
「頑張らなくても」のメッセージ。

私が思うのは、
自己肯定感が低いことに由来する
自己犠牲的な「頑張り」はやめよう。

成長のために頑張らなくてはならない
「頑張り」は頑張ろう。

(当たり前ですね・・・)

今日、お届けしたいのは、
カウンセリングや
ヒーリングワークを頑張りすぎる人への
メッセージです。

こんなに頑張って
吐く思いをして自分と向き合って
大金叩いてカウンセリング何回も受け続けて、
それなのになんで変われないの?

もう何年もカウンセリングしてるのに、
もう何年もワーク受けてるのに、
それは自分と向き合う頑張りが
足りないからに違いない。
苦しみ方が足りないんだ・・・。

(エンドレス深みにはまる)

そんな時におすすめしたいのが、
怒りを感じよう!ということです。

「なんですんなり上手くいってる人もいるのに自分はこんなに大金叩いてカウンセリングなんて頑張らないといけないんだよ、なんですんなり恋人もいていい企業にいてあったかい家族がいて上手くいってる人もいるのに、もうカウンセリングなんてしたくねーよ!もうほとほとカウンセリングなんて嫌になったよ!いつになったら幸せになれんだよ!いい加減にしろよふざけんな!まじでふざけんな、もういいよ、こんなことしたくないよ!」

あえて汚い言葉をお許しください(笑)。

みんなにドン引きされる内容ですね。

我慢強くて頑張り屋で優しいあなたの代わりに
私が醜い悪魔になります。

我慢強くて頑張り屋で優しいあなたは、

「誰だって何かしら抱えているのだから」
「悩みのない人なんていないんだから」
「みんなに比べて私の頑張りなんて」
「こんなことを考えてしまう自分はダメだ」

と考えますよね。

(考えるというところがポイントです。感じていないので。)

一旦、怒りでもなんでも感じてみてください。
感情は自由なんです。

あなたの感情に正しいも正しくないもないんです。
綺麗事や正しいことで済む世界なら
こんなに苦しまないでしょう?

あなたは、上記のような
悪魔の心ではなく、いつでも
人に対して愛を注いで生きてきたでしょう?

私が我慢すれば、私が愛を与えれば、
私が助けてあげなければ・・・って。

私は思うんです。

怒りを感じることは、
自尊心を持つ最初の一歩だと。

自分の承認欲求を満たすために
自己犠牲的に愛を与えている自分
奪う愛になっている自分

いろいろ解決すべき課題も
あるのかもしれませんが

頭で理解してお利口でいても
心が癒されないのは
感情クンが「感じさせて」と
泣いているからかもしれません。

自尊心の最初の一歩である
怒りを感じることができなくて
根っこのところから癒せるでしょうか。

過去に、怒ってもいいんです。
怒りを感じることと、
それを、そのままぶつけることは別ですから。

怒り切って、怒り切って、
ああ、こんなに怒ってたんだな
怒りがあったんだな
その怒りは
自分への怒りでもあったんだな

など、など、そこからがスタート。

怒れておめでとうございます。

感じきったら、
どんなあなたがいるでしょうね?