「私は誰からも愛されない存在だ。」
これはよくある思い込みの一つだと思います。
その「私は誰からも愛されない存在だ。」は、幼少期のどこかで無意識に刷り込んでしまった場合も多いものです。

例えば、

・お母さん(保護者)を笑顔にできなかった。
・私がこの家にいるからいけないんだ。
・私のせいで悲しい思いをさせてるんだ。
・私は疎ましがられている。

などですね。

でも、よく考えてみてください。
まったく関係のない第三者の大人の目線で、幼少期のあなたを見てあげてください。あなたは無力な子どもだったわけです。何もできなくて仕方がないと思いませんか?
そして、本当にあなたの「せい」で周りを悲しませていたでしょうか。この世に生まれて無邪気に懸命に生きているあなたは、否定されるべき存在でしょうか。
そのことを考えてみてください。

怒りがこみ上げてくるなら、怒りを感じてあげてください。その怒りの下にある感情を見てあげてください。悲しみがこみ上げてくるなら、悲しみを感じてあげてください。湧き上がってくる感情を感じてあげることは、自分を置き去りにしないで、ちゃんと自分を見てあげることにつながります。

そして、あなたが「愛されない存在だ」と思ってしまったことに対して「そう思ってしまっても、仕方がないよね」と許してあげてください。
今まで、さんざんその思い込みが原因で、苦しんできたことに対していたわってあげてください。
今まで、大切な自分を「愛されない存在だ」と責め続けてしまったことを、許してあげてください。

まずはこれで「自己受容」の第一歩です。

よく、「許す」ということが言われますが、感情が「許さなくてはいけない」という思考に追いついていないのに、何かを、誰かを許す必要はないと私は考えています。ただ一つ、「許す」必要があるとするならば、それは、あなたがあなたを「愛されない存在だ」だと扱ってしまったこと。

ここから先は、自分で自分を大切にする「自愛」「自尊心」とともに生きる選択をしてみてください。

「私は愛されない存在」を証明するために、「私は愛されない存在」という安全地帯に居続けるために、ネガティブパターンを繰り返す方もいらっしゃると思います。(これは無意識の仕業なのですが)ここから、そのパターンを一歩ずつ手放していきましょうね。

幼少期の周りの関係者について考察するのは、次のステップです。まずは、自分が愛される存在であることを思い出してくださいね。

今回も、お読みいただきありがとうございました。今日も明日も、心穏やかにいられることを祈っています。